papaiya yamashitaの(続)重電マン日記

世界を変える重電マン&トースマスタ― パパイヤ山下のブログ (電力インフラ海外営業&企画、そしてMBAとToastmastersとリベラルアーツの探求とよりよく生きるための原理原則に関して感じたことを綴っていくブログ)

【Global Literacy:精読】社会人のリベラルアーツ (第1章)

リベラルアーツ探求ゼミで勝手に指定テキストの精読を始めたので、一応メモとして残しておく。
なんか、感想文みたいになってしまったのだが、もう少しまとめて記載できるようになる必要がありそうだ。
 
【指定テキスト精読】
指定テキスト:「本物の知性を磨く 社会人のリベラルアーツ
https://goo.gl/NRpnws
参照箇所:第1章 リベラルアーツとは何か
 
本性を読んでの自分なりの問題意識は以下の3つでした。
1.リベラルアーツとは何であり、どう探求してくものなのか
2.日本人が不得手なレトリックとは何であり、どのように身につけていけるものなのか
3.日本でリベラルアーツが単に教養主義に陥ってしまったのは一体何故なのか。 
上記、?〜?に対し自分なりに本書+αを参照しながら考えてみたい。
 
1,リベラルアーツとは何であり、どう探求していくものなのか
 
リベラルアーツを学ぶということは、従来の日本の歴史教育のように年号や人命を覚えたりする表層的な学びか方をするのではなく、ある事柄に関して徹底してピンポイントの疑問を持ち、当時の状況を自分なりに想像しながら仮想体験(ヴァーチャル体験)しながら、その理由(Why)を追求していくことを通して文化のコアを理解することであるという記載がなされている。
 
これらの疑問に対し、自分なりに様々な本や実際に当時の物(ブツ)に触れてみて自分なりに理解していくことがリベラルアーツでに対してのあるべき姿勢であると理解した。
 
この点から、物事にどのような疑問をもつかは人それぞれでああることからリベラルアーツに万人共通の方法論というものは存在しないというのが、先日の麻生川先生のブログ(*1)でも触れられていた。
 
ただし、本書では文化のコアを理解するための方法論として文化の横断的な理解をすることで可能になるとしており、以下の8つの分野の文献などを読むことで把握することができるとしている。
 
/////////////////////////
リベラルアーツから見た文化の全体像(35ページの図2)>
1)歴史・文学
2)哲学・宗教
3)芸術・工芸
4)風俗・生活誌・映画
5)現代のビジネス書&時事問題
6)外国人の旅行記
7)人物伝
8)科学史・技術史
//////////////////////////
今までの多くの日本的な教養では1)から3)などが重視されてきたが、文化を横断的に理解する(=文化のコアを理解するでよいのだろうか・・・)という点ではその他の4)から8)に関する本もしっかりと読むことが重要である。このため、各国の文化を理解しようと考えた際はこれらの8つの分野でバランス良く本を選んで読書することによりある程度効率化してその国の文化のコアを理解できるのではないかと感じている。

さらに、著者はリベラルアーツを以下のようにも述べている。
 
/////////////
リベラルアーツは知識の総体を次の4つの視点から理解することで、各文化のコアを理解した、各文化のコアを理解しようとするものである。
A)人間の心のしくみ
B)人間社会のしくみ
C)自然界のしくみと自然の利用
D)技の洗練・美の創造
///////////////////

これらを強引に上記の8つの1)から8)に当てはめると以下のようになる。
 
A)人間のこころのしくみ→ 1)歴史・文学&2)哲学・宗教&7)人物伝
B)人間社会のしくみ → 4)風俗・生活誌・映画&5)現代のビジネス書・時事問題&6)がいこくじんの旅行記
C)自然界のしくみと自然の利用 →8)科学史・技術史
D)技の洗練・美の創造→ 3)芸術・工芸
 
よって、自分は1)から8)に関する文献などを自分なりに探してきて読み進めて自分なりの文化のコアを解釈することできると理解した。

 

2.日本人が不得手なレトリックとは何であり、どのように身につけていけるものなのか 
このゼミのもう一つのテーマでもある議論する力の重要な要素であるレトリックに関しても本書ではそこまで細かく触れていないので、ゼミでの活動を通してこの点は追求していきたいと感じている。
 
ギリシャとローマの時代に議論に勝つための武器として生まれたのが弁証法(dialectic)とレトリック(rhetoric)である。
・この時代の政治家・弁論家は巧妙な喩え(比喩)を活用して聴衆を自分の議論に引き込んだ。
・比喩とともによく用いられたのが複数案提示法であった。(上策、中策、下策)
 

3.日本でリベラルアーツが単に教養主義に陥ってしまったのは一体何故なのか。 
この日本の独特なリベラルアーツ感に関しては、日本の年配者を敬う風習が関係していると自分は考えている。基本的には日本では年配者や教師に逆らうことはご法度であるという育て方をするため、権威のいうことをありがたく聞いてしまう特性が出てしまったのではと考えている。
 
これに関しては、ピーター・ミルワード氏の著書である「イギリス人の学校生活」という本に興味深い記述があったので引用しておきたい。
 
引用箇所 『イギリス人の学校生活』P149-154 (日本的師弟関係の再認識)
 
「西洋の宗教は、殊にキリストの教えから来たものであるとしても、教育の理念に関するかぎり、西洋の先生はユダヤ人ではなくてギリシア人だったのである。
 
ギリシアの哲学にしろ、科学にしろ、そのすべての背後にあるもの、つまり、いわゆる学問的、科学てkなメンタリティーの背後にあるのは、実はこの「あぜ」という問いかけに他ならない。ある意味では、かれらは徹底した懐疑主義者であったといえる。
 
日本人は古来いつでも大切に守り続けてきたことを今も大切に守り続けているのである。つまり、祖先に対する深い敬意、そして、同じ道を自分達より先に進んだ人々を「先生」として敬愛するという心である」こうした師に対しては、冒頭にも引いたイエスの言葉そのままに、自分のほうが上になるなどどは考えず、考えてみようとすることさえない」

(*1) リベラルアーツを極めるには
百論簇出:(第222回目)『リベラルアーツ道を極めるには(その1)』
https://blog.goo.ne.jp/shizuo_asogawa/e/b3a2bcee0c8c945ba76088625170cbf7
 
百論簇出:(第223回目)『リベラルアーツ道を極めるには(その2)』
https://blog.goo.ne.jp/shizuo_asogawa/e/64b13529a9f6e73a8b765093e1dc344b
 
百論簇出:(第224回目)『リベラルアーツ道を極めるには(その3・最終回)』
https://blog.goo.ne.jp/shizuo_asogawa/e/352213713340ee66cd2c0ce2a8c4ab78

 

(*2) イギリスの学校生活:ピーター・ミルワード
https://goo.gl/GTctQ8

 
社会人のためのリベラルアーツ探求ゼミ
https://www.facebook.com/groups/224544774792844/